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Channel: PAPUAのぶらり関西発見伝4
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【弥助そばや】秋田:羽後町西馬音内

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【弥助そばや】 ◆2023年7月16日(日)  実は2018年2月に秋田県横手市を訪ねた時にいろんな形での関西からの食文化の移設に興味を抱いた。 ・稲庭うどん ・弥助そばや ・十文字中華そば ・横手焼きそば ・北前船 ・刃物文化 ・昆布を使った食文化  北前船(きたまえぶね)は江戸時代から明治時代にかけ、大阪から下関を経て北海道に至る「西廻り」航路に従事した日本海側に船籍を持つ海運船のことをいいます。  昆布は大阪城築城の時に巨岩を運ぶ敷物として運びだされた後、出汁文化や出汁を取った後の佃煮などの食文化が生まれて再び航路を経て各地に拡がりました。  農家の七男坊だった「金弥助」はやんちゃで放浪癖もあり、十歳を過ぎたころに行方が分からなくなり10年が経つ頃に故郷の羽後町(うごまち)に戻ります。  北前船に乗り大阪のすなばで蕎麦の修業に入り、地元の特徴を活かした弥助そばを作り育てました。  西馬音内(にしもない)川の二万石橋のたもとで蕎麦屋を始めました。1818年(文政元年)でした。  200年以上も続く人気店ですが移転拡張しなかったのは、良い湧き水に恵まれた上に 必要以上に仕込まない商売のコツを教わっていたのかと思います。  寒い冬でも、しっかりと冷水で絞められ冷たいかけつゆに放たれた蕎麦は香りや風味を逃しません。  恐らく、山形の肉蕎麦や岩手の冷やし中華などにも影響されているかと思います。  しかし、築城400年を昭和58年に迎えた大阪には「砂場」の看板を上げる店は現在ありません。  ところが、「砂場会」の会員は昭和30年に発足以来昭和59年に「すなば物語」が刊行された頃には東京を中心に、関東、北陸、信州、東北、北海道の広範囲にわたり会員店舗182を数えると記してあります。 この本は現在の職場で歓迎会を開いてくださった【ふじよし本店】(閉店)の藤原日出彦店主から数年後に出版されたからと、いただきました。流石に【弥助そばや】の話は掲載されていませんが、全国の麺類店などの歴史を探るのに時々読み返して居ます。  長い前置きでしたが、前回来た時(2018年2月10日)に臨時休業で入店出来なかったのがあまりにも残念でした。 【秋田県の麺類などの歴史!】をまとめだしたのも再訪を願っての事でした。、 後継ぎが居ないという事で2018年の10月に秋田の大手飲食店【ドリームリンク】に事業を譲渡しました。 今回も、大雨で朝横手駅前のホテルで出発の準備をしている時、「土砂災害警戒警報」で2台の携帯が鳴りまくり、念の為に「弥助そばや」に開店の確認電話をしてみると丁寧な対応で開店しますと答えられてホッとしました。  しかも早く着きすぎたのに、快く始業前に店に入れていただきました。 【弥助そばや】 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内本町90 0183-62-0669 11:00~13:30頃(蕎麦が無くなり次第閉店) 定休日:月曜日、他臨時休業あり 20席 1818年(文政元年)にOPEN! 05【秋田県の麺類などの歴史!】 https://papua.osakazine.net/e669898.html

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